三密の行によって人間が肉親のままで仏の徳を成就することを即身成仏(そくしんじょうぶつ)といいます。即身の“即”は“ツク”という字ですから、“身についた成仏”という意味であります。弘法大師は、これを三種類の段階に示されました。 |
理具の成仏(りぐのじょうぶつ) われわれ人間は凡夫でありますが、誰しもが、生まれながらに仏性(ぶつしょう)をもっているのです。人間の本質は、このまま仏であるということの理を自覚する境地をいいます。 加持の成仏(かじのじょうぶつ) 私たちが仏の徳を成就しようと発心(ほっしん)して三密の行を実習しますと、如来の加持力(かじりき)が加わり、仏と自分とが感応道交(かんのうどうこう)し、自分が本尊の中に入り、本尊が自分の中に入って、自分と本尊がひとつになった境地をいいます。 顕徳の成仏(けんとくのじょうぶつ) 私たちの三密行が円熟すると、人からおがまれる如来や菩薩と変わらない霊徳がわが身に現れてくる境地をいいます。 |
人間はみな、仏に成り得る可能性としての仏性を持っていることに気がつかず、たえず心を迷わし、不安におののきながら苦しい日暮らしをしています。しかし、本質的には人間も仏も平等なものであるという自覚を持ち、行為と言葉と精神とを清めて生活すれば、如来の加持力をいただき、この小さく弱い愚かな私に大日如来と同じ徳があらわれてきます。そうなれば、いかなることにも同様しない大安心(だいあんじん)が得られるのです。これを凡聖不二の安心(ぼんじょうふにのあんじん)といいます。 |